2014年11月24日月曜日

いよいよクローズ、だけど...




「とっとっと? きおく×キロク= 」は本日11月24日でいよいよクローズ。長かったようで短かった40日余り、さまざまな出会いがあり、さまざまな発見がありました。

福岡ケンビで学芸員として働くようになって14年。そんなにたくさんではありませんがそれなりの展覧会を手がけてきました。けれど今回の展覧会ほど「こういう美術館でありたい」というぼく自身の想いを詰め込んだものはなかったように思います。それゆえに、これほど考えさせられることの多い展覧会もなかった。

「もっとこうすればよかった」「こうしようとしてできなかった」などたくさんの悔いや反省は残ります。このブログも立ち上げたはいいけど更新もままならなかったこともそう。けれど引かれる後ろ髪を残しながら、ひとまず歩きつづけていこうかと思います。その方向が前か後か右か左かは、そのうち分かることもあるでしょうからあまり考えず。ひょっとして歩いているつもりが飛んでいたりしたら、素敵ですね。

本日最後のクロージングトークが16時からあります。そこでもすこし話そうと思いますが、もうすこし落ち着いたら、ここにもなにか綴れれば思います。記憶をつなぎ、記録を活かすためにも。

いっしょに展覧会を育ててくれた作家やスタッフのみんな、来場者の全員に心からのお礼を申し上げます。でも、展示は終わっても展覧会は終わりません。もう少しおつきあいくださいね。

写真はここ2日間のぼくの小さい人コレクション。この人たちは展覧会場を無条件に希望の場へと変えてくれる。


2014年11月18日火曜日

【新聞記事】各紙に掲載されました

なかなか更新できていませんで、ごめんなさい。新聞各紙(読売、朝日、西日本)に展覧会評を掲載していただいています。

書き手によって視点や書き方、評価もそれぞれで(当たり前ですが)、企画者としてとてもありがたく、いろいろと考えることができます。

最後はやっぱり「展覧会っておもしろいなあ、美術館ってなんでもできるなあ」ってとこに落ち着くのですが、いずれまた考えたことなどをここに書ければと思います。


*ちなみに「とっとっと?」展ミニ図録に挟み込んだテキストはケンビホームページからpdfにてご覧いただきます。→ http://fukuoka-kenbi.jp/blog/20141113_kenbi3767.html


11月8日 読売新聞

11月11日 朝日新聞

11月17日 西日本新聞

2014年11月9日日曜日

【展覧会レポ 11/3】記憶を共有する


「自分の記憶の一部を誰かが持っていてくれる。そのことにひとは励まされ、救われる」。

この日、私の記憶に刻まれたワンフレーズです。

11月3日は福岡県文化会館にとっても福岡県立美術館にとっても開館記念日でした。その大切な日に持つことができたかけがえのない時間。田北雅裕さんをゲストに迎え、出品作家たちもいっしょになって行った「とっとっトーク」は、「記憶」や「思い出」について想いを巡らせる場になりました。

田北さんが夜なべをして一つひとつつくったというしおりが参加者全員に配られ、「展覧会を観て記憶に残っていることをひとつだけ書いてください」とのお願い。書いてもらったものを集めてシャッフルし、再度参加者の手元に。手元に届いたのはもちろん、誰か知らない人の「記憶」の一葉。

そこで田北さんは言います。

「手元にある記憶はじつはあなた自身の記憶です。よかったらどんな記憶か教えてください。」

参加者の頭の中は「?」でいっぱい。「他人の記憶が私の記憶? 説明する? どういうこと?」

もちろんきちんと説明することなんてできません。けれど、説明しようと想像を働かせ、その記憶を他人事として遠ざけるのではなく自分の事として手繰り寄せます。説明は曖昧でちぐはぐなものになるでしょう。でもそんなことはどうでもよく、「合っているか」「間違っているか」は問題ではありません。大切なのは、他人と「私」の境界を超えようとすること、記憶を共有しようとする態度。

四苦八苦の、でも笑いの絶えない「説明」が終った後に、今度はその記憶の「本当」の持ち主に説明をしてもらいます。

両者が驚くほどぴったりなこともあり、「本当」の記憶が想像の記憶によってちょっぴり更新されたりすることもあったりで、コミュニケーションのふしぎやおもしろさを体感する場にもなりました。

私の手元に残ったしおり。そこには誰か知らない人の記憶が乗せられています。ということはつまり、私の記憶を乗せた一葉のしおりを誰か知らない人が持ってくれている。

そう考えるだけで、気持ちにぽっと灯がともるようです。