2014年12月22日月曜日

1カ月が経ちましたのでご報告


 会場風景/撮影 泉山朗土

「とっとっと? きおく×キロク= 」が閉幕してほぼ1カ月が経とうとしています。みなさんのなかでどんな記憶として留められているのか、あるいはきれいさっぱり忘れ去られているのかと、担当者としては気になるところですが、と言っても私自身もまだまだ言葉にできることではなく、まあ、ゆるゆるってかんじです。

なので、ちょっと報告書的なものをつくりました。文字だらけですけど、もしご興味とお時間ありましたらするすると目を滑らせてみてください。

ちなみに展覧会への感想やコメント、あるいは文化会館やケンビにまつわる思い出はまだまだゆるく募集しておりますので、kjtkgch(a)gmail.com まで気軽にメールください。 (*メールアドレスは(a)を@に置き換えてください)



とっとっと? きおく×キロク=
活動報告



会期:2014年10月4日~11月24日(開催日数:44日間)
総来場者数:2,703人
満足度:90.8パーセント(アンケートによる)


関連活動:

オープンニングトーク/10月4日 参加者28人
日比野克彦さんの作品公開設置/10月5日 43人
映画『東北記録映画三部作』上映会/10月25日、26日 計13人
「とっとっトーク」(ゲスト田北雅裕さん)/11月3日 38人
寺江圭一朗さんとの「石トーク」/11月6日、13日、20日 計14人
クロージングトーク/11月23日、24日 計37人
博物館実習生による「家」型年表の展示とワークショップ
NORTH TENJIN PICNICSとの連携(10月19日)
Henry & Mathew制作のフォトフレーム展示


図録:

A5判32頁オールカラー
展示風景、出品作家(泉山朗土、今岡昌子、酒井咲帆、寺江圭一朗、菱川辰也、森田加奈子)プロフィールとステイトメント、出品目録、担当学芸員によるテキストを所収


主な掲載記事等:

1)新聞
竹口浩司「『東北記録映画三部作』生きた声を百年先に」『日本経済新聞』10月6日(夕刊)
白石知子「「記録」「記憶」未来へつなぐ」『読売新聞』11月8日(朝刊)
後小路雅弘「調和と違和が醸し出す空気」『朝日新聞』11月11日(朝刊)
竹口浩司「曖昧さの力」『西日本新聞』11月15日(朝刊)
南陽子「人を生かしてきた営み」『西日本新聞』11月17日(朝刊)

2)印刷物
『Fukuoka Art Date』(インターネットで公開された記事を随時再掲)
竹口浩司「声なき声を響かせるために」『民族藝術学会』(制作中)

3)インターネット

「ふ印ラボ」
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2006437.html

「有座の住まいる」
http://arigozira.exblog.jp/d2014-10-05/
http://arigozira.exblog.jp/20348471/
http://arigozira.exblog.jp/20429813/
http://arigozira.exblog.jp/20227333/

「ViVi Girl Blog」
http://ameblo.jp/akiko-okuda/entry-11934509676.html

「理乃の福岡便り」
http://elsa-blog.seesaa.net/article/407338256.html

「Fukuoka Art Date」
http://fukuokaartdate.tumblr.com/post/100576721448/report-50-50
http://fukuokaartdate.tumblr.com/post/101820752198/report
http://fukuokaartdate.tumblr.com/post/103298249563/report-11-24-x

「Another Trip なんでも探検隊」
http://www.poss-kyushu.com/tanken/201411/index_1.html

「青い月」
http://aoi-tsuki.com/?p=5031


出演など:

「まちなかアートギャラリー」でのレクチャー(10月18日)
「コトコトアートカフェ」(ustream/10月20日)


感想、コメント、書き込み、つぶやきなど(抜粋):

●会話の力とは大きいものでありますね。(アンケート)

●とても居心地のよい空間で、会期中いつもぶらりと散歩しに来てしまいました。古き良きもの、新しき良きものとが同調し、共鳴し、過去と現在と未来と私を、今ここに存在させ、生きている今を幸せに思うこの1カ月半でした。(アンケート)

●ある人から「芸術はあたながいいと思うものがいい」と言われ、年に1,2回は鑑賞するようにしています。理由はなくよかった! 気分が晴れ晴れした。(アンケート)

●作品の配置や展示方法の工夫からなる視界の良さが素晴らしく、作品一つ一つも見ていてよい気持ちになれるものでした。(アンケート)

●新しい展示方法でとてもがんばっていると感じました。これからも有名作品でなくてよいので、あっと思わせる企画をお願いします。(アンケート)

●とっても意欲的、前衛的、展覧会ってこういうものという既成概念をうちこわす企画。収蔵品で勝負、キャプションなし、親切なアドヴァイザー(=ハンズさん)。とってもとってもFastenatingでした!」(アンケート)

●作品にキャプションがなく、いきなり向き合うことを余儀なくされるので、真剣に鑑賞する。そこへハンズさんの解説が入ってホッとする。観る側が試されているような緊張感を感じた美術展だった。(Twitter)

●答えを出さず見方を決めつけない展示が心地よく、キャプションも語りすぎない文字の少なさがとてもとても良かったです。(Twitter)

●「とっとっと?きおく×キロク=」。(…)正直さほど期待してはいなかったが、これが凄く良かった。松本英一郎の水彩や山本作兵衛、江上茂雄などマニアックなコレクションと福岡の若手作家6名とを組み合わせが絶妙、会場構成も面白い。(Twitter)

●記憶または記録されたものの優位性は語るまでもないが,忘れ去られたものの儚さにまで深く思いを馳せてしまった。忘却は究極の美学か。(Twitter)

●今日は夕方から、絵画教室の生徒さんの展示を見に行った流れで、福岡県立美術館で開催している"TOTTOTTO?KIOKU×KIROKU」"の展覧会を観に行った。福岡県立美術館50周年を記念した展覧会。
尊敬する野見山暁治さんの「ノルマンディーの子供」、初めて知ったが孫雅由という画家の「形態の消去」、素晴らしかった。今回のテーマに即し県美の所蔵と、若手作家の作品等、約30名弱の作家の絵画、写真、立体が展示してある。
箱を積み上げた壁、突如現れた小窓からの先に菱川辰也の風景画が目に入り、奥に進む程暗くなる。作品の並びも大変興味深く、美術品倉庫に紛れ込んだかの展示風景。絵の横にキャプションは無く、入る時に作品説明のプリントが手渡される。キャプションが無い事で絵に物凄く集中することになった。
見終わって、結局1時間程度しかその場に居られなかったが、自身の中にあるノスタルジアに触れた様な不思議な気持ちになった。とても良い展示。こういった展示が増えるといいなぁ。また期間内に観に行きたい。(Facebook)

●今日さっそく展覧会を観に伺いましたが、福岡県美の所蔵品、福岡をベースに活動する作家6人が「記憶と記録」という展覧会タイトルからそれぞれに立ち上げていった作品、県美の記憶を湛える資料や言葉が、巧みな空間構成(空間を作るひとつひとつが記憶と記録を抱え込んでいるのも見所)のなかで層を成しながら重なり、じんわり沁みこんできました。私にとっての○○ってなんだろう?と考えたくなる、何度も足を運びたくなる展覧会です。(Facebook)

●空間や時間の流れを行ったり来たりするような感覚でした♪(Facebook)

●本日は、てくてく天神にある福岡県立美術館へ。改装作業が終わり、またこの美術館に行ける楽しみが復活いたしました。
須崎公園に隣接し、天神の中心から徒歩で行ける理想的な立地の美術館ですが、福岡に住んでいても知らないひとが多いようです。リニューアルした看板に思わず、クスッと笑みが浮かびます。
本日は、「TOTTOTTO?KIOKU×KIOKU= とっとっと?きおく×キロク=」というタイトルの展覧会でした。来たる11月3日で、50回目のお誕生日をむかえる美術館の記念的な展示です。
まず、素直な感想として、「宝石をちりばめた」ような展覧会でした。とにかく、貴重な作品が多い。なのに、あまり「アート」だ「芸術」だと考えず、日常の地平にあるものとして、工夫した展示になっている点が素晴らしい。学芸員さんと会場設営の皆様の視線が非常にやわらかく心地よいです。これだけでも行く価値ありです。
作品としては、いきなりエントランスの日比野克彦さんの「ONE NIGHT A DAY」(1984)に目がとまります。東京藝大の卒業制作作品。伝説の「ダンボールアート」を見ながら、作品は発表されてからも固有の時間を耐えながら、生きているのだなあと感じました。素材がダンボールであることが、余計に様々なことを考えさせてくれました。
阿部金剛さん、伊藤研之さんの作品も相変わらずいいなあとついつい見入ってしまう。古賀春江さんの作品も何度見てもため息が出るし、江上茂雄さんのパステル画見ると、ホッとする自分がいる。奥にある上田宇三郎さんの「人物 二重像」(1946)は戦後すぐつくられたとは思えないくらい美的感覚が戦慄が走るほどに溢れている。芸術家だなあ、と一目でわかる。
現代アートとしては、寺江圭一朗さんの「石とラブレターとテレパシーとコントロール」(2014)という映像作品にとりわけ心魅かれた。「石がなかったら、大変なことになっちゃうと思うんですよ」(間違ってるかも……)と石の横で語られている姿に現代のアーティストの孤独が結晶化しているように感じた。
あとは、やはり髙島野十郎先生の「蝋燭」はいつ見てもことばにできない感動がある(その本来ことばにできないものを何度もことばにしてきたのですが……)。様々な表現があるが、この絵は「別格」だなあと改めて思った。あの展示空間もお稲荷さんの「鳥居」のような細長いスペースになっていて、銀河へのびる廻廊のような不思議さがあった。(Facebook)

●福岡県美術館のT O T T O T O ?に、行きました。ほんとうになつかしい自分の記憶に出会うことができました。この噴水の周りで遊んだり、野外音楽堂でコンサート聞いたりしました。モナリザも見に行きました。電話でモナリザの声が聞けるなんて、ありました。そして画家寺田健一郎さんの絵と奥様翠先生の動画に出会えるなんて、うれしい、なつかしい。寺田先生に油絵を教えていただきました。私の子どものアトリエのきっかけを作ってくださった翠先生、伊藤茉莉さんのインタビューに、胸が熱くなりました。なつかしい記憶で私は作られて、今があるのだとしみじみ感じた日でした。そして、若い頃憧れていた日比野さんに出会うことができました。(Facebook)

●前回から記憶・思い出の事をよく考えてました。人は成長するにつれ記憶や思い出をたくさん抱えてしまう。大人ってのはそういう生き物なんじゃないかとか。それで泣いたり笑ったりするのは大人だからできる事なんだとか。でも忘れてしまうのも人間の性だなとか。「記憶」のメディア、ラジオなんかがそうじゃないかなあとか。桜とかイルミネーションとかの思い出があまり無いっていうのは友達少ないってこと・・・とか。作品のこととあまり関係ないことだけど、記憶のようなものが作用するような時ってたくさんあるなあと日常空間で感じていたとこをあれこれグルグル考えてました。
今日はまた別の事を考えていた。
伝える・伝わるってどういうことなの?
今回の展示会は作品を観ていてモヤモヤ(by竹口)するようなことが多かった。まず作品の解説がないのね。だからまず観覧者は自ずと様々な想像を働かせて作品に埋め込まれたメッセージに迫っていく。でもねズレてたり、当たったような気がしても言葉にならなかったり。そこで発生するなんだか知恵熱ような摩擦熱ような熱があって。そこから作者への興味や愛着のようなものが生まれたり、作者本人に話してみたり、リサーチしたりと観覧者のアプローチが幾重にも行われる。そこで何かと誰かと繋がると何かが花開くんじゃないかと。それはごく当たり前のことなんだけど、うまく出来ないもの。自分は本展示会での作品のスペックのことなんかほとんどわかんなかったけど、3回も行ってしまった。で毎回違う事考えてた。あの変な学芸員さんや作家の人たちに踊らされてたんじゃないかって気がしないでもないけど、不思議な実験室に出会ってしまったような感覚。(Facebook)

●本日は、2回目の「とっとっと?きおく×キロク」展に、天神の福岡県立美術館へ。
前回、気になっていた作品「石とラブレターとテレパシーとコントロール」(2014)の作者である寺江圭一朗さんと学芸員の竹口浩司さんの「石トーク」がひそかに行われるということで出かけた。
内容は、多岐にわたり、総括すると「芸術論」に近いと言えるだろう。かなり面白くて、あっという間に時間が過ぎた。印象に残ったのは、竹口さんの「占い」をめぐる話。超常的なものや神秘的なものから切り離された近代以降の現代人。体験が個人の世界の見え方を変えることについて、深く考えさせられた。また、何かを伝えようとしても、伝えられないもどかしさについても、議論は及んだ。それは、単純なコミュニケーションの不全を示唆するものではなく、芸術作品そのものの受容の問題も内包しているように思われた。
寺江さんの作品は、映像作品であり、寺江さん扮する石職人が日々石を作る姿をドキュメンタリー形式で追ったもの。その発想も面白いが、映像の中で登場する居住空間である「小屋」の造形こそが、寺江さんの美術作家としての本領が発揮されているのだなと改めて感じた。
寺江さんは、映像の中で石についての並々ならぬ愛着を語るが、この作品はとりたてて「石を大切にしよう」ということを伝えたい訳ではない。どこにでも転がっている石をあえて「作る」というところに、芸術の原初的な発生段階を見ることができるだろう。自然にある素材を加工し、「作品」とすることで石はただの石ではなくなる。この「石」とは芸術のことに他ならない。つまり、これは芸術そのものへのラブレターであり、そことの交信=テレパシーでもあるのである。
映像の終わりで、石職人は青年から質問を受ける。
青年「この映像は何なんですか?」
石職人「この映像は、……何なんですかね」
これが恐らく言いたかったことではないだろうか。芸術は一体何をひとに伝えて、何のために存在するのか。その終わりなき問いを寺江さんは全力で作品を通して、見る者に投げかけようとしているのではないか。デュシャン以後の現代芸術の出口なき世界を照らすちいさな灯りが寺江さんの作品にはあふれている。
様々な話を聞きながら、そのようなことを考えた3時間だった。(Facebook)

●福岡県美で始まったこの展覧会、ちょっと面白い。
事前の広報などからして、てっきり会館50年記念(文化会館時代もいれて)のアーカイブ展かと思っていたら、「記憶」や「記録」をテーマにした、現代美術展なのでした。
ちょうど横浜トリエンナーレも、「忘却の海」というテーマで「記憶」の問題を扱っています。18世紀には「歴史画」の評価が一番高かったように、美術の一番重要な機能として、歴史を「記憶」「記録」するということを、美術はこれまでやってきました。
80年代、特に90年代から、美術に意味・内容が復活したことと、また、ポストコロニアルな問題で近隣諸国ともめている時代状況もあって、「記憶」「記録」というテーマが、日本でも再浮上してきたようです。
さて最後に、この展覧会で特に良かったのは、坂崎隆一氏による会場構成です。ある意味、全体が坂崎くんの作品と言ってもいいでしょう(と、本当はこんなこと言っちゃあいけないのだけど、あえて言いたくなるぐらい、良かったということです)。お勧めの、お勧め!の展覧会です。(「和田絵画教室 せっかくBSS」)

●いまさら四葉のクローバー、四つのお願いでもあるまい。
20日(木曜)夕刻に、久々に東中洲から歩いて(天神へ行く予定だったが、行先が16時で閉まっていることをバスのなかで知り、急遽変更)、須崎公園のなかの福岡県立美術館へ行く。「とっとっと?きおく×キロク=」展を見るため(本日まで開催)。
県立図書館が同居していた福岡県文化会館時代(1983年まで)は、よく足を運んだが、最近は年に1回も訪れていない。古いアルバムを見たら、1970年のミレー展も現在の同居人(住民票ではボクが世帯主となっているが、実態は逆転)と一緒に見に行っていた。東京のT教授など、「デート先はいつも古本屋」という誤った伝説を、ことあるごとに流布させているが、この写真でくつがえせる。
閑話休題。県立美術館で、今回の展示にちなむ絵葉書をもらってくる。A4判1枚だが、切り取ると4枚セットになる。選ばれたのは阿部金剛「Rien No.1」、高島野十郎「無題」、片山摂三「安永良徳 パイプ(メデューサとサタン)」、山本作兵衛「木枯し」。
阿部金剛は、詩誌「リアン」創刊の契機となったとされる1929年の作品。松本英一郎の「さくら・うし」シリーズにも通じる構図(松本「退屈な風景No.2」と同じく、空にUFOみたいな物体が浮かぶ。阿部では、飛行船ツェッペリン号とされる)。会場には、古賀春江「窓」(1927)も展示されていた。この2点の絵画だけでも見にいった甲斐がある。大作主義ではなく、大家も新人も同一の空間に並べる。展示のキャプションや案内も詳しくなく、見たい作品を探し廻る。それが、かえって好感を持てた。(「スカラベ広場?」)

●更紗の裂に添えられた文章を読んでいらした女性が「あ、ここに今の私の気持ちが書いてある。この文章を読んだだけで今日来た甲斐があったわ」と。最近ふさぎ込むことの多かった女性を、気晴らしになればとご主人が連れ出されたようです。後から来られたご主人に、今度は声に出して文章を読んで聞かせて「これが私の今の気持ちよ」とおっしゃられ、私に「よかったわ」と告げて帰られました。(スタッフからの聞き取り)


2014年11月24日月曜日

いよいよクローズ、だけど...




「とっとっと? きおく×キロク= 」は本日11月24日でいよいよクローズ。長かったようで短かった40日余り、さまざまな出会いがあり、さまざまな発見がありました。

福岡ケンビで学芸員として働くようになって14年。そんなにたくさんではありませんがそれなりの展覧会を手がけてきました。けれど今回の展覧会ほど「こういう美術館でありたい」というぼく自身の想いを詰め込んだものはなかったように思います。それゆえに、これほど考えさせられることの多い展覧会もなかった。

「もっとこうすればよかった」「こうしようとしてできなかった」などたくさんの悔いや反省は残ります。このブログも立ち上げたはいいけど更新もままならなかったこともそう。けれど引かれる後ろ髪を残しながら、ひとまず歩きつづけていこうかと思います。その方向が前か後か右か左かは、そのうち分かることもあるでしょうからあまり考えず。ひょっとして歩いているつもりが飛んでいたりしたら、素敵ですね。

本日最後のクロージングトークが16時からあります。そこでもすこし話そうと思いますが、もうすこし落ち着いたら、ここにもなにか綴れれば思います。記憶をつなぎ、記録を活かすためにも。

いっしょに展覧会を育ててくれた作家やスタッフのみんな、来場者の全員に心からのお礼を申し上げます。でも、展示は終わっても展覧会は終わりません。もう少しおつきあいくださいね。

写真はここ2日間のぼくの小さい人コレクション。この人たちは展覧会場を無条件に希望の場へと変えてくれる。


2014年11月18日火曜日

【新聞記事】各紙に掲載されました

なかなか更新できていませんで、ごめんなさい。新聞各紙(読売、朝日、西日本)に展覧会評を掲載していただいています。

書き手によって視点や書き方、評価もそれぞれで(当たり前ですが)、企画者としてとてもありがたく、いろいろと考えることができます。

最後はやっぱり「展覧会っておもしろいなあ、美術館ってなんでもできるなあ」ってとこに落ち着くのですが、いずれまた考えたことなどをここに書ければと思います。


*ちなみに「とっとっと?」展ミニ図録に挟み込んだテキストはケンビホームページからpdfにてご覧いただきます。→ http://fukuoka-kenbi.jp/blog/20141113_kenbi3767.html


11月8日 読売新聞

11月11日 朝日新聞

11月17日 西日本新聞

2014年11月9日日曜日

【展覧会レポ 11/3】記憶を共有する


「自分の記憶の一部を誰かが持っていてくれる。そのことにひとは励まされ、救われる」。

この日、私の記憶に刻まれたワンフレーズです。

11月3日は福岡県文化会館にとっても福岡県立美術館にとっても開館記念日でした。その大切な日に持つことができたかけがえのない時間。田北雅裕さんをゲストに迎え、出品作家たちもいっしょになって行った「とっとっトーク」は、「記憶」や「思い出」について想いを巡らせる場になりました。

田北さんが夜なべをして一つひとつつくったというしおりが参加者全員に配られ、「展覧会を観て記憶に残っていることをひとつだけ書いてください」とのお願い。書いてもらったものを集めてシャッフルし、再度参加者の手元に。手元に届いたのはもちろん、誰か知らない人の「記憶」の一葉。

そこで田北さんは言います。

「手元にある記憶はじつはあなた自身の記憶です。よかったらどんな記憶か教えてください。」

参加者の頭の中は「?」でいっぱい。「他人の記憶が私の記憶? 説明する? どういうこと?」

もちろんきちんと説明することなんてできません。けれど、説明しようと想像を働かせ、その記憶を他人事として遠ざけるのではなく自分の事として手繰り寄せます。説明は曖昧でちぐはぐなものになるでしょう。でもそんなことはどうでもよく、「合っているか」「間違っているか」は問題ではありません。大切なのは、他人と「私」の境界を超えようとすること、記憶を共有しようとする態度。

四苦八苦の、でも笑いの絶えない「説明」が終った後に、今度はその記憶の「本当」の持ち主に説明をしてもらいます。

両者が驚くほどぴったりなこともあり、「本当」の記憶が想像の記憶によってちょっぴり更新されたりすることもあったりで、コミュニケーションのふしぎやおもしろさを体感する場にもなりました。

私の手元に残ったしおり。そこには誰か知らない人の記憶が乗せられています。ということはつまり、私の記憶を乗せた一葉のしおりを誰か知らない人が持ってくれている。

そう考えるだけで、気持ちにぽっと灯がともるようです。


2014年10月21日火曜日

オモイデおしえて 009 きょうこさん

その昔、ケンビで「ダリって誰?」的なキャッチコピーで展覧会が開催されたと聞いたことがあります。

きょうこさんの思い出です。


今から20年ほど前ででしょうか。私がまだ大学生だった頃、福岡に住んでいました。ダリの作品が展示されていると聞いたのがきっかけで、初めて県美を訪れました。ダリの作品の数々に圧倒されて、とても感動しました。ダリの作品をあんなにたくさん見たのはあの時以来ありません。20年経っても記憶に深く残っているので、よほど感動したのだと思います。

有名な人だからと見に行ったのですが、作品の持つ意味を考えたり、絵画は奥深く、心を動かす力があるのだと初めて知った展覧会でした。私の人生にも深く影響を与えてくれた展覧会を企画していただいたことに感謝しています。

ちなみにその帰り、ダリのポスターを購入し、しばらくトイレに貼っていました。トイレは毎日入るので、おかげさまで毎日刺激を受けました。


どうでしょう? 20年前に見た展覧会をありありと覚えているなんて経験が果たして僕たちのなかにあるでしょうか? 今は何でも不自由なく、むしろ過剰なほどに享受することができますが、本当の豊かさって何だろう?と考えさせられました。

しかも、「ダリって誰?」に負けないほどに、トイレのオチが秀逸です(笑)



福岡県文化会館/福岡県立美術館にまつわる思い出や記念写真を募集しています!

2014年10月14日火曜日

出品リスト

展覧会に出品している作品リストをケンビHPにアップしています。リストにたどり着くまでちょっと面倒ですが、興味ある方は参考にしてください。

http://fukuoka-kenbi.jp/blog/20141014_kenbi3485.html

2014年10月9日木曜日

オモイデおしえて 008 銀河宙太さん

60歳の銀河宙太さんから、心にしみる思い出をいただきました。


福岡県文化会館(現福岡県立美術館)が天神の地に立って、もう50年になるんですね。

光陰矢の如し、といいますが、まさにその通りで、いろんな思い出が浮かんできます。

文化会館時代は、美術館と図書館を併設していました。その美術館の思い出として「ルノワール展」鑑賞があります。親友の成清君とワクワクして鑑賞した覚えがあります。

高校時代のことだから、1971年の思い出でしょうか。西鉄柳川駅から電車に乗り、一時間ほどして福岡駅に着き、そこからテクテクと徒歩で天神のビルの谷間を抜けて須崎公園を目指しました。田舎に住んでいるので、その場所が中々分からず、何度も尋ね聞きしながら行ったものです。当時、斬新な建物が目に入るまでは、そんなに時間はかかりませんでした。
 
美術館の入口には、入館待ちの人々で溢れていました。しばらくして美術館内に入り、所狭しの状態で、ゆっくり鑑賞しようにもそれは出来ず、鑑賞する人々の波にまかせて館内を進みました。数年前、ゴッホ展を九博で鑑賞したときもそんな状態でした。人気の展覧会は、どんなに時代が変わっても多くの鑑賞者で賑わうようです。きっと印象派の画家たちは、日本人好みでしょう。彼らの絵画は、明るくて、柔らかくて、穏やかで、そして心をしっかり和ませます。絵画鑑賞は、世知辛い人生を豊かにします。
 
当時、この展覧会の、ルノワールのどの絵に感動したか、今になっては忘却の彼方で、すっかり記憶にありません。しかし、どの絵も二人とも興奮の中で鑑賞したに違いありません。この青春真っ只中の「ルノワール展」鑑賞は、永遠に、在りし日の福岡県文化会館の姿とともに貴重な心の財産になっています。

イスラエル、イラク、シリア、ウクライナ等、世界のどこかで戦争が行なわれています。その国の人々は絵画鑑賞どころではありません。平和あってこその絵画鑑賞です。最近、絵画鑑賞をしながら、平和そのものの尊さを感じざるを得ません。


最後の一文、本当にその通りだと思います。だからこそ美術館は安心できる場所でもあります。

ところで10月4日にオープンしたばかりの展覧会場には、銀河宙太さん思い出の「ルノワール展」のポスターがこっそりまぎれこんでいます。


見に来てもらえればうれしく思います。



福岡県文化会館/福岡県立美術館にまつわる思い出や記念写真を募集しています!



【展覧会レポ 10/5】日比野克彦さん公開設置


あれ、展覧会始まってましたね。すっかり放置気味でした。ごめんなさい。

展覧会が無事始まった10月4日にはオープニングトークと称し、今回出品してくれた6人の地元作家(泉山くん、今岡さん、酒井さん、寺江くん、菱川くん、森田さん)が集まってそれぞれの作品や制作について語ってくれました。頷ける話や意外な話など、あっという間の1時間半でした。

10月5日には作品を特別出品くださった日比野克彦さんが来館、公開設置となりました。会場にて設置されるのは日比野さんが1984年の芸大大学院終了制作として制作した《ONE NIGHT A DAY》。じつはその一部のパーツを組み合わせて10年後の1994年に再構成されたのが当館が収蔵している作品となります。そんなことがご縁となっての今回のイベント。

定刻の17時20分に始まった公開設置は、当初「18時過ぎには終わろうかな」という日比野さんの言葉をうれしく裏切り、ほとんど本気の公開制作の様相となり終了したのはなんと20時。当初参加くださった80名の方も、約半数の方が最後まで見届けてくださいました。

緊張感もリラックスもあり、ワクワクもドキドキもした、ふしぎな2時間でした。



設置(制作)された作品は会期終わるで会場にありますから、みなさんどうぞ見に来てくださいね。






2014年9月18日木曜日

オモイデおしえて 007 市川直代さん

朝日新聞(昭和40年12月3日)より

今回思い出を教えてくださった市川直代さんは63歳の女性。美術館デビューはもちろん文化会館のツタンカーメン展。

小倉で生まれ、小倉で育ちました。中学3年(昭和40~41年)の冬、高校受験の合格祈願に学校から3年生全員(約630人)で太宰府天満宮に参拝、その後県文化会館で開催中の「ツタンカーメン展」を見に行きました。黄金のマスク、数々の宝飾品、そして美術館という空間に驚きました。「ツタンカーメン展」はわたしの美術館デビューでした。

高校生になると友人とユトリロ、モディリアーニ、ロートレック、ルノワールと展覧会があるたびに見に行きました。

見終わると天神へ。福ビルの「ニック」に行き、いつかはこんな生活をと思い、1階の「とうじ」で手の届く絵葉書を買い、地階の「ロイヤル」でカレーライスを食べ、大満足で小倉に帰りました。青春の入口の良き時代の思い出です。


淡々と語ってくださった思い出が、それだけにしみじみ染みてきます。「ニック」や「ロイヤル」の名前も出てきて、古き良き天神を謳歌された世代ですね。

私が福岡に暮らすようになったのが2000年、来た時にちょうど「ニック」は無くなっていて、後でその名前を知りました。ニックの思い出を語る人に会うと、うらやましいなあという思いと、くやしいなあという思いとが交錯します(笑)

思い出が私自身のなかにないからこそ、そこはいつまでも憧れの場所として心のなかに在りつづけるのでしょう。

2014年9月14日日曜日

「とっとっと?」展しおりチラシもとっとっと?

チラシがブックカバーになっちゃうならば、やっぱりこれも必要でしょう。


てことで、「とっとっと?」しおり。

大小2種、各4色、計8ヴァージョンつくりました。裏面はミニミニチラシになってます。

「A4チラシは大きいからレジの横には置けんとよ...。」と残念に思ってくださっているショップスタッフの方! どうですか?

ご興味お持ちでしたら担当のぶらぞう(竹口) kjtkgch(*)gmail.com [(*)を@に]までご連絡ください。お送りするかお持ちするかします。

 

2014年9月10日水曜日

「とっとっと?」展チラシをとっとっと?

ひょっとしてすでに目にした方、いらっしゃいますか? フラッシーな黄色の、雲のような水玉のようなふしぎな模様が一面に浮かぶこのチラシ。



はい、これが「とっとっと? きおく×キロク=」のチラシです。デザインしてくれたのは矢野貴昭さん(vielen dank !)。

どんなチラシにしようかと話し合っている時、ぼくら二人の間に浮かんできたキーワードは「モヤモヤ」でした。頭の中の記憶というのは整理されずに絡み合い、モヤモヤしていながらも時にはとても鮮烈によみがえってきたり生々しくあったり。そんな記憶のありようをヴィジュアル化できないかと試行錯誤の末に生まれたのです。

しかもこのチラシ、ちょっとした仕掛けがあります。画像ではA4の一枚ものに見えるかもしれませんが、実物はチラシの上と下とがガバッと開く仕様。展覧会情報はその中面にびっしりとレイアウトされているのですが、このまま二つ折りにすればなんとブックカバーになるのです! 

本という記録媒体を包み込み、とっておきの思い出にもしてくれるブックカバー。ただの展覧会チラシがそんなささやかな贈り物になれば素敵だなと、矢野さんがデザインしてくれました。

ぜひ手に取ってみてほしい。

いえ、ぜひ「とっとって」ください!




2014年9月9日火曜日

6人の作家紹介

今回「とっとっと?」展では、ケンビの収蔵作品/作家のほかに福岡を拠点に活躍中の作家6人の作品も展示します。その6人のプロフィールを以下にご紹介:



泉山朗土 
IZUMIYAMA Road

1974 東京生まれ。武蔵野美術大学卒業後、現代美術作家 柳幸典に師事。 2004recomemo workshop & studio設立。これまで日比野克彦、藤浩志、中ハシ克シゲ、小沢剛などの制作ドキュメントのほか環境設計プロジェクトの記録や企業・建築のプロモーション制作などを行っている。 Susan Norrieの全撮影を手掛けた"SHOT" Edinburgh International Festival 2009/ "TRANSIT 2011" YOKOHAMA TRIENNALE 2011に出展。2014 福岡市赤煉瓦文化館にて「偶景 incidents-」をPlan Co Zero「カラスとカササギ」のための習作として発表。


泉山朗土(タイトル未定)2014年 [映像]


今岡昌子
IMAOKA Masako

神奈川県横浜市生まれ。2001年 コニカプラザ(東京)他にて写真展「ReBirth~ガレキの隣のオンナたち」開催。同年 東京都写真美術館にて「明日のために-日本のドキュメンタリー写真家」参加。2002年 第2回さがみはら写真新人奨励賞、2007年 第23回東川賞新人賞受賞。2008年 九州へ移住。2011年 つなぎ美術館(熊本)、2012年 銀座ニコンサロン、2013年 ギャラリーおいし(福岡)にて個展「トポフィリア-九州力の原像へ」開催。


今岡昌子「シグナルトランスダクション(変容へ)」2014年 [写真]


酒井咲帆
SAKAI Sakiho

1981年 兵庫県生まれ。2006-09年 九州大学USI子どもプロジェクトに所属し、子どもの居場所づくりの研究に携わる。2009年 写真屋「ALBUS」を福岡市に立ち上げ、写真現像や家族撮影などを営みながらまちづくりに関わっている。2011年 水戸芸術館にて「クリテリオム81 酒井咲帆写真展 いつかいた場所」、2014年 太宰府天満宮宝物殿(福岡)にて「神さまはどこ? 酒井咲帆・前田景 写真展」開催。


酒井咲帆「いつかいた場所」 [写真]


寺江圭一朗
TERAE Keiichiro

1981年 広島生まれ。大分大学大学院修了後、2005-08年 共同アトリエ3号倉庫(福岡)のメンバーになる。2008-10年 旧大賀APスタジオ(福岡市)を共同設立。2013+100P arts & studio(福岡市)を立ち上げる。20063号倉庫にて個展「カミサマ教」、2013ARCADE(沖縄)にて個展「空っぽの音 満ちた声 それから その真ん中」など開催。グループ展にも2012 年 カフェビョルナダ/釜山湾沿岸旅客ターミナルにて「2012 WATAGATA ARTS FESTIVAL NET-CO〟」、2014konya-gallery(福岡)にて「konya2023 New Yearʼs art mart - Treasure Ship」をはじめ多数参加。


寺江圭一朗「another way -石職人-」2014年 [映像]


菱川辰也
HISHIKAWA Tatsuya

1976年 大分県日田市生まれ。2007年 ギャラリーおいし(福岡)、2009art space tetra(福岡)にて個展開催。2013art space tetraにてグループ展「部屋を飾る/絵画・写真」に参加。

菱川辰也「市内風景」2013年 [絵画]


森田加奈子
MORITA Kanako

1979年 香川県生まれ。九州造形短期大学卒業後、2003-05年 共同アトリエ3号倉庫(福岡)のメンバーになる。20043号倉庫にて「消えない風景」、2013年 ギャラリー58(東京)にて「遠くて近い」など個展多数。グループ展も2012 年 カフェビョルナダ/釜山湾沿岸旅客ターミナルにて「2012 WATAGATA ARTS FESTIVAL NET-CO〟」、2014konya-gallery(福岡)にて「konya2023 New Yearʼs art mart - Treasure Ship」など多数参加。

森田加奈子(左)「アンティエ」2011年/(右)「コイル」2011年 [絵画]


2014年8月29日金曜日

オモイデおしえて 006 のっぃさん

本日金曜日。来週の火曜日には長かった半年間の休館も明け、耐震補強工事を施されたケンビが再始動。つまり第70回県展がオープンします。

そして明日は、その県展の入選発表日。きっとドキドキしながら結果を待たれている方も多いことでしょう。

今回思い出を教えてくださった「のっぃ」さんもきっとそのお一人。10年以上県展に出品しつづけてくださっているとか。赤裸々な思い出を語ってくださいました。


 ケンビと出会ったのは平成14年の夏だった。
 その2年くらい前から、先輩に誘われて写真を始めたボクは、この年の県展に初出品して初入選。多くの作品にまざって展示された自分の作品を見に行ったのがケンビデビュー。当時は、ケンビなんて略称はもとより県立美術館であることもよく理解していなかった。須崎公園の奥にある建物。それだけが第一印象。
 それから12年。十二支は一回りしたわけだけどその後、県展には縁がない。どんな自信作を搬入しても、出品されないことを淡々と告げるハガキしか届かない。
 ケンビは敵だ・・・そう思い始めた頃、去年の秋、一枚のチケットをもらった。江上茂雄展。初めて行った県展以外のケンビの企画展。ボクのよく知っている大牟田や有明海の風景が力強く描かれていた。絵画のもつパワーに圧倒された。江上さんの生きざまにも圧倒された。ケンビは素敵だ・・・そう思った。
 その江上茂雄展もひとつのきっかけとなって少しずつ点と点が線になって、いろんなつながりがあって、つい先日ケンビの中の方と飲む機会があった。
 僕はいささか飲み過ぎたようで、何しろ記憶を失うほど酩酊してしまったのだが、聞き及ぶところによると初対面の方々に相当に失礼な振る舞いをしていたらしい。
 自分の点と点が線になってきたことにうかれすぎて、周りの方々が大事にしてきた線を台無しにしてしまったかもしれないとおもうと、今はただ反省するばかり。

 また一回り時が流れるころ、笑って話せる思い出としてキオクされていることを願わずにはいられない。


敵よりも味方がいいですし、無粋よりも素敵がいいです。けれど、無関係、無関心ではなくずっとケンビに関わってくださるのっぃさんは、ありがたい存在です。長くこれからもよろしくお願いしますね。


福岡県文化会館/福岡県立美術館にまつわる思い出や記念写真を募集しています!

2014年8月26日火曜日

「とっとっと? きおく×キロク=」ってどんな展覧会?

昭和39年、開館当初の福岡県文化会館。向かいは前年に開館した福岡市民会館。
現在の須崎公園にはまだ引揚者のための簡易住宅が立ち並んでいる。

福岡県立美術館の前身にあたる福岡県文化会館は昭和39年(1964)に建ちました。ですから今年で50歳。建物は先頃までの半年間におよぶ耐震補強工事を経て、いまも現役です。
この展覧会では、文化会館/県立美術館の50年の歴史を紹介しつつ、「記憶」と「記録」をキーワードにして当館収蔵品と6人の地元作家とがコラボレート。トークがあったり映画上映会があったりと、みんなが楽しめるふところの深い場所をつくっていきたいと思います。


福岡県文化会館建設50年記念 とっとっと? きおく×キロク=
2014104日(土)~1124日(月・休)

休館日:月曜日(ただし10/13, 11/3, 11/24は祝休日のため開館、10/14, 11/4が休館)
観覧時間:午前10時〜午後6時(入場は午後530分まで)
観覧料:一般300円(200円) 高大生140円(100円) 小中生60円(50円)  
*( )内は20名以上の団体料金
65歳以上の方は特別割引料金(200円)
*次の方々は無料=身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている方およびその介助者/教員引率による児童・生徒およびその教員/土曜日の高校生以下の方/家族の日(1116日)に来場される方全員



【展覧会内容】

あなたが大切にとっている思い出はどんな思い出ですか?

それは写真や映像にうつっていますか?
あるいは心のなかに残っていますか?
いまは思い出さなくても、いつかふっと再生されるものもあるかもしれません。
なかには思い出したくないものもあるでしょう。

思い出は過去のものですが、わたしたちはいつも思い出とともに歩いています。
急がず、ゆっくりと、どこまでも歩いていけることを願って、この展覧会をひらきます――

とっとっと? きおく×キロク=


◆第1部 思い出の文化会館

福岡県立美術館の前身にあたる福岡県文化会館は、いまから50年前の昭和39年(1964)に建ちました。図書館と美術ギャラリーの併設施設として当時西日本最大の規模を誇り、たくさんの人を迎えてきました。とくに開館後まもなくに開催されたツタンカーメン展は58万人もの来場者を数え、いまも語り草となっています。その21年後の昭和60年(1985)、県文化会館は改築を経て、福岡県立美術館としてリニューアルオープンしました。
1部では福岡県文化会館建設50年を記念して、まつわる記憶や記録を展示し、「きおく」と「キロク」をいまにつむいでいきます。

*福岡県文化会館/福岡県立美術館にまつわるみなさんの思い出を募集しています。詳しくは当館ホームページのココをご覧ください。

文化会館はこちらが正面。設計は佐藤武夫。
建築家自身がデザインした照明の後ろには
洋画家伊藤研之がデザインした石壁レリーフ


◆第2部 まざりあう「わたし」


写真家が目の前の光景をカメラにおさめるとき、それは現実の記録でありながら、写真家の記憶が入りこみます。画家が心の中を描くとき、それは画家の記憶でありながら、画家が生きる日々や時代の記録にもなります。私たちが美術作品を目にするとき、それは同時にわたしたちの記憶を再生し、思い出をつくることがあります。
第2部では、福岡県立美術館の所蔵品と福岡を拠点に活躍中の作家6人(泉山朗土、今岡昌子、酒井咲帆、寺江圭一朗、菱川辰也、森田加奈子)とのコラボレーションにより、「きおく」と「キロク」がまざりあった楽しくふところ深い場所をつくっていきます。 


山本作兵衛「木枯らし」1964-66年、当館蔵 
 (c) Yamamoto Family
髙島野十郎「蝋燭」1912-25年、当館蔵
阿部金剛「Rien No.1」1929年、当館蔵
泉山朗土(タイトル未定)2014年(映像)
今岡昌子「シグナルトランスダクション(変容へ)」2014年(写真)
酒井咲帆「いつかいた場所」(写真)
寺江圭一朗「石職人」2014年(映像)
菱川辰也「市内風景」2013年(絵画)
森田加奈子(左)「アンティエ」2011年/(右)「コイル」2011年(絵画)

*出品作は変更されることもあります



◆第3部 ともに歩いていくために

思い出を杖に歩いていく。そのためにわたしたちはどのように記録と記憶を伝えていくことができるのでしょうか。第3部として出品作家たちによるトークショウや酒井耕・濱口竜介監督『東北記録映画三部作』の上映会などを開催します。

104日(土) 14:00~ オープニング・トーク

出品作家たちが作品や活動について、担当学芸員が展覧会について語ります。

場所:4階展覧会場にて
参加無料(展覧会チケットが必要です)


105日(日) 17:20~ 日比野克彦《 ONE NIGHT A DAY 》公開設置

日比野さんが今から20年前に東京藝術大学大学院の終了制作としてつくった作品を、作家自ら展覧会場で組み上げていきます。
日比野克彦「ONE NIGHT A DAY」1984年、作家蔵
場所:4階展覧会場にて
参加無料(展覧会チケットが必要です)


『東北記録映画三部作』上映会

1)1025日(土)13:00~17:30 
第一部「なみのおと」(142分)、第二部「なみのこえ/気仙沼編」(109分)

2)1026日(日)13:00~17:00 
第二部「なみのこえ/新地町編」(103分)、第三部「うたうひと」(120分)

場所:4階視聴覚室にて(開場は12:30/先着80名程度) 
参加費:各日500円 
特別協力:silent voice http://silentvoice.jp/


113日(月・祝)14:00~ とっとっトーク

文化会館/県立美術館の開館記念日であるこの日に、田北雅裕さん(九州大学専任講師/http://trivia.gr.jp/ )や出品作家たちといっしょに「記憶」「記録」「思い出」「希望」「未来」などについて語り合いませんか?

場所:4階視聴覚室にて(開場は13:30/先着80名程度) 
参加無料



2014年8月8日金曜日

キロクの断片のきおく 008

満を持して登場の、ツタンカーメン展(昭和40年)の記事紹介。いくつもあったのですが、個人的に一番ヒットしたのはこの記事です。

朝日新聞 昭和40年12月14日
「食堂も大繁盛」とあります。そりゃそうでしょ、40日間で約59万人も入った展覧会ですからね、食堂もさぞかし儲かったでしょ。

と記事をよく見れば、なんとお向かい福岡市民会館の食堂だとか。文化会館にも食堂はあったんですけど、全然入りきらなかったんでしょう。

いまも市民会館に芝居やコンサートを観に来られた方が開場までケンビの1階でくつろいだりトイレで大行列をつくったり(笑)されているのと変わらず、昔からお向かい同士で支え合っていたわけです。

カレーと丼ものがよく出たそうで、食堂の「上田さん」のコメントが秀逸。「美術展のお客さんなのではじめはかなり高いものが売れるという心づもりでしたが、ツタンカーメン展はどうやら庶民の展覧会ですね」と。

かくして最終日の1月15日も「庶民」は入場前の大行列。

朝日新聞 昭和41年1月15日
ありえない眺めですね。

2014年8月3日日曜日

オモイデおしえて 005 そかぴさん

今回の思い出は、福岡県文化会館が1985年に県立美術館にリニューアルされて、その一発目の展覧会「現代美術の展望 変貌するイマジネーション」についてです。

寄せてくださったのは、そかぴさん。


 福岡県立美術館の開館時の思い出です。
 開館記念展として「現代美術の展望」が開催されました。最新の美術表現を、福岡県ゆかりのアーティストたちの作品で紹介する展覧会です。公立美術館の開館最初の展覧会において、歴史的作品が一切なく、すべて同時代美術のラインナップで揃えたことに、画期的として大きな注目を集めました。当時は「インスタレーション」がブームになっていました。鉄材やカラフルな紙、あるいはビデオ画面すらパーツとして組み合わされて作品となり、さまざまなインスタレーション作品が3階展示室全体に広がっていました。ダイレクトに作品に接してもらうため、題名や作家名を記したキャプションを、どこにも付けないでおきました。
 開館セレモニーの後、展示室へとエスコートする館長が、招待客に大声で案内しました。「この展覧会ではキャプションをつけていません。この建物同様に新鮮な目で作品に接してください。」開館式典に招かれた人にとっては、作品もそうですが、展示室自体もまさに初めて見る空間。無機的なメタル仕様の円筒型ゴミ箱や、緑のカーペットを張った休憩台なども、じつは備品なのではなく、ひょっとして作品なのではないかと訝る人が続出。「どれが作品なの?」。数日後、館長から「やっぱりキャプションを付けようや」と指示が下りました。
 みんなが福岡県立美術館に対してタブラ・ラサであった30年前の出来事です。


あまりにも詳細でマニアックな思い出とお思いでしょう。それもそのはず、そかぴさんはケンビ開館時(正確には開館準備期)から勤めている学芸員なんです。

そしてニックネームの「そかぴ」とは、ケンビ開館時の喫茶室の名前だとか。そう、逆さに読めば...。ベタすぎるなあ。




2014年7月16日水曜日

キロクの断片のきおく 007

開館から8年後の新聞記事。

文化会館は美術作品の収集を積極的にはうたっておりませんでしたが、将来の県立美術館建設を視野に入れながら、細々とながら収集を続けていました。その「成果」を見せるための「第一回収蔵品展」が開催されて、こんな記事が出たようです。

フクニチ新聞 昭和47年6月8日

フクニチ新聞 昭和47年6月21日

8年間で29点。しかも青木繁や坂本繁二郎はない。県立美術館を建設しようというには確かに心許ないですが、上田宇三郎や岡田三郎助など、現在のコレクションの基礎がこうやって築かれていったと知ると感慨深くもあります。

しかも8年間で800万円。「たったそれだけ?」と当時の新聞は嘆いていますが、現在の購入予算は10年以上ゼロなのですから、うらやましいやら情けないやら。

ちなみに新聞で紹介されているのはこんな作品。どれも魅力的な作品です。(ただし岡田と藤島が正式に収蔵されたのは県立美術館が開館する2年前の1983年でした)

上田宇三郎「裸婦」1953年

岡田三郎助「婦人像」1909年

青柳暢夫「黍と女」1941年

藤田隆治「地脈の魚」1961年

藤島武二「山中湖畔の朝」1916年


2014年7月10日木曜日

オモイデおしえて 004 JNKさん

今回思い出を寄せてくださったJNKさんは30代の女性、福岡県大牟田市にお住まいの方です。うれしかった思い出やちょっと悲しかった(腹が立った?)思い出などを、ありのままに語ってくれました。


わたしのケンビデビューは、「ビュッフェ展」だったと思います。
図録買ってたことで思い出しました。
思い出して、手にとりぱらぱら開く。
太い線。暗い色調。
ケンビで、かつかつヒールを鳴らしたことで、怒られた事を思い出しました。
そんなに音出してない!という思いと、そんなに人いないし!という思い出。
ケンビの印象は、ゆーっくり見れるからいいなーと思ったし、いま思えば、かつかつの足音さえも、他の鑑賞者の事を思えばこその注意だったかと()

「安野光雅展」では、見ていくうちに引き込まれてるし、楽しい!と思って鑑賞したことを覚えています。

「糸の先へ展」では、物販ボランティアをさせていただき、ケンビスタッフの顔を知ることができたし、詳しい説明や作品に対する愛情を知ることができました。貴重な経験でした。

しかし、一番大きな思い出は、「江上茂雄展」です。
地元大牟田を描く路傍の画家江上さんを取り上げてくださった学芸員さんをはじめそれに関わった方々に多大な感謝を感じました。ケンビがなければ、埋没していたであろう作品たち。そこに縁を感じずにいられませんでした。私は江上さんの親戚でもなんでもありませんが、これは大牟田の遺産であり歴史であり、宝であると思いました。また、展示スペースも、全てがD.I.Yで、温かくじーっといつまでもみていたくなる空間でした。ありがとうございました。

そんなケンビを持つ福岡県民であることに誇りを持てます。
これからも、温かいケンビでい続けてください。


じつはJNKさんは、ぼくの友人でもあります。ここで語ってくれている「糸の先へ」を担当している時に知り合いました。そして去年の「江上茂雄展」でより仲良くなりました。

が、さらにおどろきの発見!

JNKさんのケンビデビューである「ビュッフェ展」が、なんとわたしの学芸員デビューの展覧会でした。ケンビ(と、思いがけずぼく)が、JNKさんの思い出や人生と隣り合って在ることがとてもうれしく、はげまされました。

JNKさん、いつも、ずっと、ありがとうございます。どうぞこれからもよろしく。

もしまた「ヒールかつかつ」を叱るスタッフがいたらぼくにおしえてくださいね~笑



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2014年7月2日水曜日

キロクの断片のきおく 006

新聞記事スクラップ、気付けば1か月以上の放置でした...。今回はちょっと変化球で須崎公園の話。

昭和40年6月29日 朝日新聞

福岡県文化会館/福岡県立美術館が建つここ須崎公園は、もともとは引揚げ者たちのために用意された市設住宅地でした。その人たちに立ち退いてもらって須崎公園ができたわけですが、それまでには、いつどこの世も変わらぬ立ち退き問題がありました。

ちなみに開館当初の写真を見れば、記事の中に出てくる那珂川沿いに建設中の市営団地も写っていますね。現在はこの市営団地もリニューアルに向けて工事中です。

しかしもともと125戸あったところに75戸分の団地を用意して移転を交渉するってのも、どうなんでしょうね。

2014年6月23日月曜日

オモイデおしえて 003 親父ゴンさん

今回の思い出は御年60歳の親父ゴンさんから。福岡県文化会館時代、伝説のツタンカーメン展のことを語ってくださいました。


 県立文化会館の思い出といえば、夏休みの宿題をまとめてこなすために、学習室の場所取りで開館1時間前から並んだということもありますが、やはり一番の楽しい思い出は「ツタンカーメン展」でしょう!
 小6の時、当時住んでいた渡辺通から市内電車に乗って「ツタンカーメン展」を見に行きました。
 文化会館の周りは、今よりもっと都心の喧噪から離れた静かな環境であったと思います。
 公園の中の長蛇の列に並び、黄金のマスクに辿り着いた時の感動は、今も当時の図録(何度も見てぼろぼろになっていますが)を見るたびによみがえります。
 数千年の時を感じさせない不可思議で感動的な歴史とそれを彩る「美」の世界。

 私が、「歴史」と「芸術」に惹かれたスタートラインであったような気がします。


当時福岡に住んでいた人ならみんな見に来たというツタンカーメン展(ちょっと大げさ...)。来場を待つ人たちの列が須崎公園の噴水のまわりにとぐろを巻いていたとか、なんと岩田屋まで届いていたとか、ウソかホントか分からないような話を今も耳にします。

10月の展覧会では、当時のツタンカーメン展図録も手に取ってもらえますので、おたのしみに。


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